郷土が生んだ偉大な物理学者 田中舘愛橘博士
■博士の業績
愛橘博士は南部藩(岩手県)の武士の子でしたが、明治維新で侍の世が終わりました。明治政府は「日本は西洋諸国に100年遅れている」と近代化を急ぎました。
愛橘は「日本は科学が一番遅れている」と、お国のために近代物理学を学びました。日本に物理学の種をまき、多くの弟子を育て、西洋に肩を並べる発展を導きました。
『重力』 | 『地磁気』 | 『飛行機』 | 『メートル法』 |
日本各地の重力を測定して貴重な記録を残しました。重力測定技術の基礎を築き、測地学の発展に努めました。 | 全国各地の地磁気を観測・分析し、地磁気の異常と地震とがどのように結びつくかという研究の道を拓きました。そして、緯度変化の観測と解析へと発展させました。 | 日本へ航空工学を紹介し、飛行機制作技術の発達を助けました。東京大学航空研究所の創設を促し、その活動は日本の科学技術を世界の最先端へと導きました。 | 日本の度量衡の統一と普及に貢献しました。万国度量衡会議へ出席し、メートル法の整備と国際的な統一に力を注ぎました。 |
『地震』 | 『ローマ字』 | 地球の第2の「衛星」 | 博士と交流のあった科学者たち |
濃尾大地震の調査で根尾谷大断層を発見しました。文部省震災予防調査会発足のきっかけをつくり、その活動を支えました。 | 日本語の国際化を目指してローマ字表記の普及と統一化の運動を盛り上げ、国際社会との文化交流を図りました。 | 愛橘博士は明治31年から昭和10年までの38年間に20回渡航し、会議・学会への出席は68回を数えました。その行動は、「地球には2つの衛星がある。1つは月だが、第2の衛星は田中舘だ。彼は1年に1度地球を回ってやってくる」と言われました。 | ・キュリー夫人 (ポーランド:化学・物理学者) ・ギョーム (スイス:金属・物理学者) ・アインシュタイン (ドイツ:物理学者) ・レントゲン (ドイツ:物理学者) |
元号 | 西暦 | 年齢 | ことがら | できごと |
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安政3年 | 1856 | 0 | 陸奥国二戸郡福岡村(現在の二戸市福岡)で 生まれる | |
明治3年 | 1870 | 14 | 盛岡藩校修文所入学、和漢の学問を修める | |
明治5年 | 1872 | 16 | 一家で東京へ移住 慶應義塾英語学校に入学 | 富岡製糸場操業開始 |
明治9年 | 1876 | 20 | 東京開成学校入学 | グラハム・ベルが電話機を発明 青森県二戸郡・宮城県気仙郡が移管され、現在の岩手県・青森県の県域が確定 |
明治11年 | 1878 | 22 | 東京大学理学部本科入学 | エジソン電気照明会社(後のゼネラル・エレクトリック社)設立 |
明治15年 | 1882 | 26 | 東京大学卒業、準助教授となる | |
明治21年 | 1888 | 32 | イギリスのグラスゴー大学に留学 2年後ドイツのベルリン大学へ転学 | 日本標準時実施 |
明治24年 | 1891 | 35 | 帰国し帝国大学理科大学教授(理学博士)となる 濃尾大地震の調査で根尾谷大断層を発見 | ロンドン-パリ間で電話開通 日本鉄道上野-青森間開通 濃尾地震発生 |
明治26年 | 1893 | 37 | 本宿キヨ子と結婚 | |
明治27年 | 1894 | 38 | 長女美稲誕生 産後の病により夫人逝去 万国測地協会委員となる | 日清戦争勃発(1894~1895) |
明治39年 | 1906 | 50 | 帝国学士院会員となる | |
明治40年 | 1907 | 51 | 万国度量衡会議常任委員となる | 東北帝国大学創立 |
明治43年 | 1910 | 54 | 航空事業視察のためヨーロッパへ派遣 ローマ字新聞創刊 翌年(1911年・明治44年)、 ローマ字世界創刊 | 地球がハレー彗星の尾の中を通過 韓国併合・日韓併合条約調印 白瀬矗らが南極探検に出発 鈴木梅太郎が世界初のビタミンであるアベリ酸の発見を発表 徳川好徳大尉(アンリ・ファルマン複葉機)と 日野熊蔵大尉(グラーデ単葉機)日本初の動力飛行 |
大正3年 | 1914 | 58 | 文部省測地学委員会委員長となる | 第一次世界大戦勃発(1914~1918) パナマ運河開通式 |
大正5年 | 1916 | 60 | 勲一等瑞宝章受章 帝国大学教授在職25年祝賀会の日に辞表を 提出する | |
大正6年 | 1917 | 61 | 東京帝国大学名誉教授となる | ロシア革命 理化学研究所創立 本多光太郎、KS磁鉄鋼を発明 |
大正7年 | 1918 | 62 | 東京帝国大学航空研究所創立、顧問となる | 第一次世界大戦終結 |
大正10年 | 1921 | 65 | 航空評議会評議員となる | 日本でメートル法公布 原敬暗殺事件 |
大正14年 | 1925 | 69 | 文部省学術研究会議副議長、貴族院議員となる。 | 東京放送局(後のNHK)がラジオ放送開始 |
大正15年 | 1926 | 70 | ふるさと福岡町において古希の祝賀会 震災予防評議会評議員となる 太平洋学術会議副議長 | ジョン・ロジー・ベアードがテレビジョン送受信の公開実験に成功 八木・宇田アンテナが考案 ロバート・ゴダードが最初の液体燃料ロケットを発射 |
昭和3年 | 1928 | 72 | 航空事業に対しフランス政府よりレジオン・ ドヌール勲章を受章 | |
昭和5年 | 1930 | 74 | 文部省臨時ローマ字調査委員会委員となる | |
昭和7年 | 1932 | 76 | 貴族院議員に再選 | 満州国が建国宣言 五・一五事件 |
昭和13年 | 1938 | 82 | 科学振興調査会委員 航空機技術委員会委員 | |
昭和14年 | 1939 | 83 | 中央航空研究所施設委員会委員となる 貴族院議員に3選 | アインシュタイン-シラードの手紙 ドイツ・ハインケル社のHe178が世界初のジェット飛行に成功 第二次世界大戦勃発(1939~1945) |
昭和15年 | 1940 | 84 | 帝国学士院第二部部長となる | 炭素14の発見 日独伊三国軍事同盟成立 |
昭和19年 | 1944 | 88 | 文化勲章受章 朝日文化賞受賞 | ドイツがV2ロケットによるロンドン攻撃を開始 |
昭和20年 | 1945 | 89 | ふるさと福岡町に疎開 | アメリカ、史上初の原子爆弾の爆発実験に成功 広島と長崎に原子爆弾が投下 日本がポツダム宣言を受諾、敗戦 第二次世界大戦終結 世界初の電子計算機がつくられる |
昭和26年 | 1951 | 95 | 福岡町名誉町民となる | |
昭和27年 | 1952 | 東京、経堂の自宅で95歳にて永眠 日本初の学士院葬 福岡町町葬 | 世界初の旅客用ジェット機就航 | |
平成11年 | 1999 | ふるさと二戸市に田中舘愛橘記念科学館が オープン | ||
平成14年 | 2002 | 没後50年記念事業挙行 文化人切手発行 | ||
平成27年 | 2015 | 二戸市名誉市民となる | 超伝導リニア・世界最高速を更新 冥王星無人探査機ニューホライズンズ・冥王星最接近 | |
平成28年 | 2016 | 田中舘愛橘像落成、二戸市のシンボルとなる | 重力波直接検出 113番元素の名称がニホニウムに正式決定される |